プロローグ:ユーコンとの出会い
ラストパラダイス み~つけた!

ユーコン北部にあるトゥームストン準州立公園は、毎回必ず訪れる僕のお気に入りの場所だ。
生まれて初めての旅は、25歳の春に青年海外協力隊で訪れたスリランカから始まった。スリランカの空気が自分に合ったのだろう、結局3年半も現地の子供たちと過ごした。
旅に目覚めた僕は真逆の世界を見てみたくなり、2ヶ月の予定でアメリカに向かった。ポパイなどの情報誌で育った僕にとって、アメリカは憧れの国だ。ロサンゼルスに入りサンディエゴからシアトルへ、再びロスに戻り南周りでマイアミ~ニューヨーク、そして北回りでシカゴ~デンバー~ラスベガスを経由してロスに戻った。アメリカで暮らす人々に直に接するチャンスは少なく、人種のるつぼのようなアメリカで自分は風景のような存在だった。
移動手段として購入したマウンテンバイクは早々に盗まれ、シカゴでバックパックも紛失した。チケットとトラベラーズチェック、メモ帳が入った小さなディパックを身に付けていたのは不幸中の幸いだった。しかし煩わしい荷物から解放され、身軽に旅する楽しさを発見した大きな収穫だった。
帰国後、僕の興味はタイやインドネシア、モルディブ、ネパールなどのアジアに向いた。貧しいけれどパワフルな人々とふれあい、その中を漂うことが心地よかった。その後、小さなビジネスを初めたことで、アメリカの旅が再開する。趣味を通じて彼らの生活の中に入ってみると、以前の旅では味わえなかったアメリカの生活を経験した。
アメリカもそんなに悪くない。それぞれの道が交わるように、出会うきっかけになる"鍵"があれば旅は変わる。僕はその交差点で生きていこうと心に決めた。
アメリカ中を旅して、スケールの大きさも実感した。しかし全てが完ぺきに管理されていて、僕が勝手に思い描いていたアメリカとはほど遠い。どこか物足りなさを感じていた。
2006年の夏。少し大げさかもしれないが、この夏の8日間の旅が僕の人生を大きく変えた。取材で訪れた初めてのユーコン。それまでの印象は漠然としたもので、敢えて言えば野田知佑さんの「ユーコン漂流」のイメージくらい。それでも、カヌーとの関わりが薄い自分にとっては遠い存在だった。
ここでユーコンを初めて認識する方のために、一般情報を少しだけ。カナダ北西部に広がる地域で面積は日本の約1.3倍、西はアラスカ州、南はブリティッシュコロンビア州、東をノースウエスト準州、そして北は北極海の一部・ボーフォート海に面している。気候は亜北極気候に属し、7月の平均気温は14~16℃、25℃になることもある。反面、冬は厳しく平均気温は-18~32℃、ホワイトホース周辺でも-50℃を記録したこともある。その厳しい環境の中、カリブーやヘラジカ、グリズリーなどの野生動物が生息している。中でもカリブーは人間(人口約3万700人)よりはるかに多い18万頭が生息しているという。
多くが針葉樹林帯、いわゆるタイガと呼ばれる亜寒帯森林に覆われ、その間を縫うように無数の川が流れる。ユーコンの冬は長く、生き物たちは(もちろん人間も)束の間の緑の季節を謳歌する。大地は緑の木々で溢れ、特に北部のツンドラ地帯では地表付近の永久凍土が溶け、苔や地衣類がまるで緑色の絨毯を広げたように育つ。
短い夏が終わりを告げると、駆け足で冬がやってくる。日に日にその色を変え、緑の絨毯が赤い絨毯へと劇的に変わる様は一見の価値がある。
その中を自由気ままに歩き、野生動物を追いかけ、パラグライダーを楽しみ、縁遠かったカヌーも始めた。夜は満天の星と踊るように舞うオーロラの下でキャンプする。出会う人は殆どいない。
この手付かずの荒野には何にもないけど、僕が求めていたものが何でもある。全てが僕を強烈に惹きつけた。初めてユーコンを訪れたあの夏から、毎年のようにユーコンに通っている。訪れた国はそれほど多くはないが、僕の漂流はユーコンで終わった。僕にとっての「ラストパラダイス」、それがユーコンなのだ。

ユーコン準州の州都ホワイトホースには人口の70%以上が集中している。

ユーコン川のカヌートリップはオーロラ鑑賞に次ぐ人気のアクティビティ。半日から数週間まで様々なコースがある。

オーロラを見るために毎年たくさんの観光客がホワイトホースを訪れる。

豊富な野生動物もユーコンの醍醐味。ベアーカントリー、屋外では彼らのテリトリーにお邪魔するという謙虚な気持ちが大切だ。

クルアニ国立公園は西部に広がる広大な氷河地帯で、アラスカとユーコンにまたがる広大な一帯は世界遺産に登録されている。

透き通るような湖もユーコンにはたくさんある。そこにカヌーを浮かべ漂うのも悪くない。

「ようこそユーコンへ!」ラストパラダイスの入口はここから。

オーロラは毎回違う姿を見せてくれる。この夜は明け方まで、静かに降り注ぐようなオーロラが続いた。